PRODUCTION NOTES
東野圭吾×福山雅治の黄金タッグ、再び

誰もが認める国民的スター=福山雅治。これまでも様々な(時にはクセの強い)ヒーロー的主人公を演じてきた福山が、「いつかダークヒーローを演じてみたい」という想いを明かした相手は他でもない東野圭吾だった。今更説明するまでもないが、東野と福山といえば大ヒット作「ガリレオ」シリーズで長年タッグを組んできた関係性。まさに次なる新作の主人公像を考えていた東野は、福山のこの言葉をきっかけに「ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人」を書き上げた。主人公・武史は元・超一流マジシャンであり、メンタリスト級の巧みな人間観察能力をもち、誘導尋問はお手の物。人を欺くことに罪悪感など覚えない男。金にシビアで、父を亡くしたばかりの姪にも平然とたかるような人格者とは縁遠いキャラクターである。だがその真意が少しずつ明らかになってくるにつれ、読者は武史の抗いがたい魅力にハマり、最終的には彼こそ稀代のエンターテイナーであることを認めないわけにはいかない。そんな魅惑の悪党を福山雅治というスターが演じた時、どのような化学反応が起きるのか――。公私共に交流の深い2人の“友情”に端を発した小説が映画化されるのは、もはや必然だった。
福山の新たな代表作に――
全員でアイディアを出し合った脚本
全員でアイディアを出し合った脚本

「ガリレオ」シリーズに続く新シリーズ開幕を目指し、徹底的に“エンターテイメントであること”にこだわった製作陣。ミステリーが軸としてありながら、稀代のエンターテイナーが主人公の作品を、完全なるエンタメ作品に昇華させられる監督として白羽の矢が立ったのが「コンフィデンスマンJP」シリーズを手がけた田中亮監督だった。本作のオファーを受けて「ついに来たか!と、武者震いするような高揚感と緊張感がありました」と語る監督。「東野圭吾さんの小説を映画化することは監督としてひとつの栄誉ですし、そのチャンスを自分にいただけたのが光栄でした。しかも主演は福山さん、ヒロインは有村さん。“これを本当に自分がやるのか!?”という気持ちでした」もともとはバラエティ志望としてフジテレビに入社したという監督だったが、配属されたのはドラマ部。だが「エンターテイメントを作りたい」という想いが消えることはなかったという。「いい意味でドラマでも映画でも何か変わったことをやりたがる監督なので、今回のような作品は最適任だと思いました」(上原寿一プロデューサー談)正式に映画化が決まり、脚本作りがすぐにスタート。脚本家・橋本夏を中心に監督、プロデューサー陣、そして福山本人からも多くのアイデアが飛び出す。小説の武史を映像のキャラクターとしてどう落とし込んでいくのがベストなのか――。東野は「福山さんが楽しんで演じてくださるのが一番です」というスタンスを崩さず、そのおかげで自由かつ、建設的なディスカッションが連日行われた。「僕は福山さんから東野先生の原作を映画化する覚悟や責任を教わったと思っています。原作をそのまま映画にするのではなく、原作の面白さを残したままいかに映像作品として面白く仕上げるかということを常におっしゃっていたのが印象的で非常に勉強になりました」(監督)福山が武史のキャラクター造形でこだわったのは、武史という人物の多面性でもあった。人の心理を巧みに読み解き華麗に真相を暴いていく武史だが、その性格には難も多く全く完璧な男ではない。姪の真世から「叔父さん」と呼ばれることに引っかかりを覚えるという人間味あふれる描写も、福山から出たアイディアだったとか。対峙する人によって見せる顔が異なる武史は、見方によってはキャラを使い分けているようにも見える。福山は脚本段階からそこまで役を深く読み込んでいた。また本作はエンターテイメントではあるが、今の社会が抱える様々な問題も織り込まれている。ネット上では饒舌な匿名者たちが、実社会では言いたいことを我慢して飲み込む。そんな今の時代を鮮やかに斬っていくブラック・ショーマン=神尾武史は、福山を代表する新たなキャラクターになるはずだ。
天才マジシャン・福山雅治の誕生!

映画化の過程で全員を悩ませた高いハードルの一つが、武史の披露する数々のマジックであった。福山=武史を超一流のマジシャンに導くため、製作陣がマジック監修としてオファーしたのは2024年度マジシャン・オブ・ザ・イヤーにも輝いた実力派マジシャン・KiLa。幸いなことにKiLaは東野作品のファンで原作も既に読んでおり、最初の打ち合わせからシーンに沿った具体的なマジック案を次々と提示。製作陣の前でも鮮やかなマジックを披露し、全員を驚嘆させた。多忙を極める福山だがKiLaの指導のもと、4か月以上マジックに真摯に向き合い続けた。その結果普通の人なら習得までに半年近くかかると言われる“コインロール”(手の甲側の指間にコインを挟み転がす動き)や、“パーム”(手の平にコインやカードを隠す動き)を予想以上の速さでマスター。自宅でも毎日練習を欠かさず「パームのある生活」を送っていたという。実は人知れず指の筋肉を痛めたこともあったそうだが、それを誰にも告げることなくアーティストとしてツアーもこなしギターも弾いていたというから驚く。「僕らが想定していた以上にマジックのシーンが多くなったのは、福山さんがみるみるスキルアップされて、使えるマジックが増えていったからなんです。もともと手先が器用な方であるとは思いますが、ギタリストとしての指の使い方を犠牲にしてまでマジックの練習をしてくれたことには感謝しかありません。今回マジックシーンはアナログで頑張りたいと最初に決めてしまっていたので、ご本人に実際にやってもらうしかなかったのですが……」(監督)福山のクランクインは免許証を口から出すという高度なマジックシーンからのスタートだったのだが、実はこれも福山本人からのアイディア。当初は手で免許証を隠すだけの動きだったものを、「武史だったらこうすると思う」と役に沿った動きを自ら考案し、しかも実にあっさりとやってのける福山に初日から現場の士気は高まった。時にはトランプを操るシーンで、カードを隠す必要のないところでも「クセで」消してしまうというハプニングも起きるほど、マジックが体にしみ込んでいた福山。その手さばきやテクニックだけでなく、普段から「マジシャンとしての動き、所作、ムード」を意識するため、撮影現場には常にKiLaが帯同。作品のクオリティを押し上げることに一役買っている。「KiLaさんから伺ったお話で言うと、手品という字は手がひとつで口が3つあるじゃないですか。つまり手の動き(=テクニック)も大事だけど、口(=トーク)はその3倍大事だと。巧みな話術でお客さんを魅了したり、ミスディレクションするのがマジシャンならば、福山さんも話術が素晴らしい方なのでやっぱりマジシャンに向いているなと思いました」(監督)
初共演=福山雅治×有村架純の
名バディぶり
名バディぶり

型破りで問題行動の多い武史と成り行きとはいえバディを組むことになるのが、姪の真世。父を亡くしたばかりというセンシティブな状況の中、武史と丁々発止のやり取りをしながら事件の真相に迫っていくという、陰と陽の感情の両立が必要な非常に難しい役でもある。しかも生前の父とは疎遠で、いわゆる仲良し親子ではなかったという微妙な立ち位置。そんな演技力に広い幅を求められる真世には、満場一致で有村にオファー。福山と有村は初共演となるが、報知映画賞の授賞式で面識を持ち「いつか共演できるといいですね」という会話が両者の間でなされてからほどなくの共演となった。製作陣が驚かされたのは有村の絶妙なコミカル芝居。近年の出演作ではシリアスで繊細な芝居が高く評価されることも多い有村だが、本作では鋭く武史にツッコミを入れるシーンも多い。「この作品は武史と真世のバディがいかに跳ねて、グルーヴ感があるものにできるのかというのがひとつの課題でした。有村さんのコメディセンスは秀逸で、熟練の漫才師さんくらい絶妙な間合いでツッコんでくれる(笑)。常に武史にやられっぱなしではなく、時には真世の方がうわてに出ることもあるんです。それを表現できたのは有村さんのツッコミの間(ま)とトーンがあってこそ。お父さんの殺された謎を解くためには泣いてばかりもいられないという、難しい感情を嘘なく演じてくれたからだと思います」(監督)原作では真世と父・英一の関係性についてはより深く時間を割いて描かれているが、時間が限られた映画の中ではそれをすべて描写するのは難しい。「脚本で描き切れていない面は、どうしても有村さんのお芝居頼みになるところも多かったのですが、しっかり真世としての哀しみのリアルも表現してくれたことが演出する上での指針となりました」
福山と有村のバディとしての相性、バランスもまた製作陣の予想を大きく上回るものとなった。身内のバディは意外に珍しい組み合わせだが、互いの兄と父親を殺害されたことで“目的は同じ”という動機の説得力が作品の最大の強みでもある。「他では見たことのないバディになったなと思います。一見すべてが正反対なんですが、不思議にかみ合っている。他人のような遠い距離感でもないし、親子や兄妹のように近すぎてぶつかる距離感でもない。叔父と姪のバディは東野先生のすごい発明だなと思います」(監督)撮影合間もさらりとマジックを披露する福山に、有村が本気で驚くなど初共演とは思えないほどいい距離感で撮影に臨んでいた2人。有村のリアリティをもった確かな芝居に対し撮影序盤から福山は絶大の信頼を寄せ、対する有村も福山へのリスペクトを持ちつついざカメラが回ると対等に渡り合う。常人の感覚ではあり得ない言動も多い武史に対し、クールなツッコミを入れる真世。2人の織りなす絶妙なコンビネーションは、間違いなく作品の大きな見どころとなっている。
福山と有村のバディとしての相性、バランスもまた製作陣の予想を大きく上回るものとなった。身内のバディは意外に珍しい組み合わせだが、互いの兄と父親を殺害されたことで“目的は同じ”という動機の説得力が作品の最大の強みでもある。「他では見たことのないバディになったなと思います。一見すべてが正反対なんですが、不思議にかみ合っている。他人のような遠い距離感でもないし、親子や兄妹のように近すぎてぶつかる距離感でもない。叔父と姪のバディは東野先生のすごい発明だなと思います」(監督)撮影合間もさらりとマジックを披露する福山に、有村が本気で驚くなど初共演とは思えないほどいい距離感で撮影に臨んでいた2人。有村のリアリティをもった確かな芝居に対し撮影序盤から福山は絶大の信頼を寄せ、対する有村も福山へのリスペクトを持ちつついざカメラが回ると対等に渡り合う。常人の感覚ではあり得ない言動も多い武史に対し、クールなツッコミを入れる真世。2人の織りなす絶妙なコンビネーションは、間違いなく作品の大きな見どころとなっている。
疑惑の登場人物たちを演じる
豪華キャスティングが実現
豪華キャスティングが実現

本作は登場人物が多いうえに、〈全員が怪しい〉キャラクターばかり。つまりそれぞれに強い個性が必要でもある。特に重要だったのは真世の同級生たち。有村=真世と同世代で、彼女に負けない個性を持ち、かつ心に秘密を抱えたキャラクターを演じられる演技力のある俳優陣。キャスティングは主にスケジュール調整面で難航したが、見事にバラバラの個性が光る実力派のキャスティングが揃った。

「成田凌さんとは以前お仕事をしたことがあり、硬軟を演じ分ける幅広さは知っていたので是非にとお願いしました。かつて教室の隅っこで漫画を描いていた孤独な少年の雰囲気をうまく出してくれました。生田絵梨花さんとも以前ご一緒したことがあり、いろいろなことが器用にできる俳優さんだという信頼感がありました。真世といちばん距離が近い桃子という役を、やり過ぎずリアリティの中にうまく落とし込んでくれましたね。木村昴さんはクラスの真ん中にいる柏木という役が本当によく似合う方。体も大きいからアクションも映えるし、何より“俺たち友達だろ?”という言い方がまさにガキ大将で最高でした(笑)。ミステリーの定石として“第一発見者は怪しい”ということがあると思うんですが、森永悠希さんはまさにそんな原口を絶妙に演じてくれました。これまでの長いキャリアに裏付けられた確かなお芝居力に安心して任せられました。ハナコの秋山寛貴さんはプロデューサーの強い薦めもあり実現したキャスティングだったのですが、やはりコントをやられる芸人さんは地に足がついたお芝居をされるなと。ご本人は映画自体がとてもお好きだそうで、ずっと興奮しながら現場にいらっしゃいました。犬飼貴丈さんが演じた杉下という役は、現場でいちばん変わっていった役でもあります。脚本よりも本性が出る強い役に変わっていったのは、犬飼さんのアイディアのおかげでもありますね。岡崎紗絵さんにはこれまでとは違う新しい一面を出してもらえたのかなと思います。クラスのマドンナであると同時に、周りに脅威やプレッシャーを感じさせるココリカは彼女の胆力あってこそでした」(監督)

真世の婚約者・健太には伊藤淳史、武史に翻弄されるベテラン刑事・木暮には生瀬勝久、そして武史の兄であり真世の父・英一には仲村トオルという豪華布陣も実現。
有村とは映画『ビリギャル』以来の共演となった伊藤は久々の再会を喜び、真世がウィディングドレスを試着するシーンではかつての教え子を見るように(!?)瞳を潤ませていた。「ある種の“銭形刑事”のようなポジションを担ってもらった」(製作陣談)という生瀬は、刑事としての格を保ちながら、最大のライバル=武史に振り回される木暮を好演。英一役には演技力はもちろん、“福山雅治の兄”という説得力を体現できる仲村に迷わずオファー。「神尾兄弟はやっぱりかっこよくないといけませんから、トオルさんは本当にピッタリでした。トオルさんにも実際に娘さんがいらっしゃるので、真世とのシーンでは“自分だったらこう言うんじゃないかな”とアイディアをいただきよりシーンが膨らんでいきました」(監督)
有村とは映画『ビリギャル』以来の共演となった伊藤は久々の再会を喜び、真世がウィディングドレスを試着するシーンではかつての教え子を見るように(!?)瞳を潤ませていた。「ある種の“銭形刑事”のようなポジションを担ってもらった」(製作陣談)という生瀬は、刑事としての格を保ちながら、最大のライバル=武史に振り回される木暮を好演。英一役には演技力はもちろん、“福山雅治の兄”という説得力を体現できる仲村に迷わずオファー。「神尾兄弟はやっぱりかっこよくないといけませんから、トオルさんは本当にピッタリでした。トオルさんにも実際に娘さんがいらっしゃるので、真世とのシーンでは“自分だったらこう言うんじゃないかな”とアイディアをいただきよりシーンが膨らんでいきました」(監督)
美しい紅葉を求めて――
岐阜、愛知をメインロケ地に
岐阜、愛知をメインロケ地に

撮影は2024年10月~12月まで、そして2025年5月と2ブロック体制で行われた。設定は観光名所に乏しい“名もなき町”であるため、ロケ地探しは難航。全国をロケハンした結果岐阜県、愛知県周辺に決定した。実際は名もなきどころか素晴らしい名所に恵まれた場所も多かったが、“エンターテイメントとして雰囲気のある町”という選択は間違っていなかったと製作陣は確信。作品の象徴的場所でもある高台の“青空の丘公園”は、岐阜県中津川。有名な苗木城跡からの見晴らしは非常に美しく、偶然スタッフに“城マニア”がいたことで見つけられたロケ地でもあった。メインロケ地は昔ながらのレトロな街並みと豊かな自然が融合する、岐阜県の郡上八幡。他にも愛知県の香嵐渓など、いずれも紅葉シーズンは多くの観光客で賑わう場所が多く登場する。「この町の観光資源を何にしよう?と考えた時、特定の場所や建物にするとリアルなロケ地がイメージできてしまうので、紅葉にしようと思ったんです。紅葉は時期が限られているので、ある種の儚さみたいなものも表現できるなと。実際お世話になったロケ地には紅葉以外の名所がたくさんありますが、映像としては寂れた雰囲気を演出しつつ、田舎特有の“叫び声が誰にも届かない怖さ”みたいなものを出していかないといけないなと思いました」(監督)ちなみに今は雨ざらしになっている“幻ラビ”の大きな看板をスタッフが設置した時、何人かの住民の方は本当にこの施設ができるのかと勘違いするほどのリアリティがあったとか。
現場の士気を上げ続けた座長

稀代のエンターテイナーである武史同様、座長・福山は常にエンターテイナーとして場の空気を盛り上げ続けた。原作の東野が現場見学に訪れた際も、見事な手さばきでテーブルクロス引きを成功させ、その場にいた全員が拍手喝采! 優雅にお辞儀をしてみせる茶目っ気も見せた。そして、台本において後半の実に30P以上に渡る教室でのクライマックスシーンは、3日間に渡り丁寧に撮影されていったが、大スター・福山との本格的な対峙に同級生キャスト陣も緊張の色を隠せない。そんな空気を察してか撮影合間には自らマジックを披露したり、他愛ない雑談で同級生たちを笑わせるなど、周囲の空気をどんどん柔らかくする福山。一方でいざ撮影が始まると、教室中に心地いい緊張感が走る。シーンのクオリティを上げるためには一切の妥協を許さず、ギリギリまで監督とディスカッションを重ねる福山の姿に、同級生のキャスト陣も感化。次第にキャスト全員で積極的に意見交換がなされ、ますます現場の熱が上がっていった。じりじりと彼らの秘密に迫る武史に、困惑しながらも必死で抵抗する同級生たちの息詰まる攻防戦。「彼らがしっかり武史に歯向かうという方向性が、撮影していく中で出来上がっていきました。撮影の中盤でグッとギアが上がるのを感じましたね」(監督)長尺のシーンを一瞬たりとも飽きさせないのは、華麗な数々のマジックによるところも大きい。冒頭から観客の度肝を抜く視覚的にも大胆な映像マジックに始まり、ロープやお札を使った武史の一流テクニックがさく裂。もちろんそれらをすべてスマートにこなしているのは、福山自身だ。お札に武史の顔画像がプリントされているのも、粋な演出である。「今の人たちはプロジェクションマッピングや生成AIが非常に身近なので、武史の見せるマジックや技術を突拍子もないものではなく“あり得るな”と感じてもらえるのも大きいと思います」(監督)
製作陣が「圧倒的に一番大変だった」と語る作品冒頭の“サムライ・ゼン”のショーは、ラスト2日間かけて撮影。本編とは別にもう1本別の映画を撮ったようなハイカロリーなオープニングアクトとなったが、撮影期間が約半年開いたことでじっくり準備ができたのは幸いだった。KiLaはもちろん、東京パラリンピックの閉会式にも携わった映像作家・西郡勲、アクション監督・川澄朋章といったチームで、ラスベガスで一世を風靡した武史の勇姿が収められていく。「このシーンは福山さんといつも以上に話し合いました。映画では武史がラスベガスにいる時代のシーンがないので、冒頭でこの人がいかにすごいエンターテイナーなのかを観客に分からせる必要があった。海外の人たちにことさら迎合するのではなく、日本人としての良さや美学を追求している武史らしいショー作りを意識しています。福山さんのアクションは迫力タップリですが、僕がこれでOKだと思ってもご本人が“まだまだできます!”と納得いくまでストイックに挑まれていました」(監督)ここで披露される武史のマジック技術(テクニック)が、その後の本編で駆使されていくという伏線も完成。「皆さん、あと少しです!よろしくお願いします!」と自らスタッフに声をかけ続けた福山は、ついにこのシーンにてオールアップ!「俳優という仕事は新しいことをやり続けなければいけない仕事なんだなということを、『ブラック・ショーマン』で改めて感じました」と感慨深げに語る福山の姿も印象的だった。
製作陣が「圧倒的に一番大変だった」と語る作品冒頭の“サムライ・ゼン”のショーは、ラスト2日間かけて撮影。本編とは別にもう1本別の映画を撮ったようなハイカロリーなオープニングアクトとなったが、撮影期間が約半年開いたことでじっくり準備ができたのは幸いだった。KiLaはもちろん、東京パラリンピックの閉会式にも携わった映像作家・西郡勲、アクション監督・川澄朋章といったチームで、ラスベガスで一世を風靡した武史の勇姿が収められていく。「このシーンは福山さんといつも以上に話し合いました。映画では武史がラスベガスにいる時代のシーンがないので、冒頭でこの人がいかにすごいエンターテイナーなのかを観客に分からせる必要があった。海外の人たちにことさら迎合するのではなく、日本人としての良さや美学を追求している武史らしいショー作りを意識しています。福山さんのアクションは迫力タップリですが、僕がこれでOKだと思ってもご本人が“まだまだできます!”と納得いくまでストイックに挑まれていました」(監督)ここで披露される武史のマジック技術(テクニック)が、その後の本編で駆使されていくという伏線も完成。「皆さん、あと少しです!よろしくお願いします!」と自らスタッフに声をかけ続けた福山は、ついにこのシーンにてオールアップ!「俳優という仕事は新しいことをやり続けなければいけない仕事なんだなということを、『ブラック・ショーマン』で改めて感じました」と感慨深げに語る福山の姿も印象的だった。
アーティスト・福山雅治が担当した
テーマソング「幻界」
テーマソング「幻界」

俳優としてだけでなく、本作のテーマソング『幻界(げんかい)』をアーティストとして書き下ろした福山。主演俳優が映画のトーンを決める楽曲制作をも行うとは何とも贅沢な話だが、あがってきた楽曲のクオリティに監督一同感動することに。「実は具体的なオーダーは僕の方からしていなかったのですが、何度も福山さんと作品に関するディスカッションをしていくうちに、お互い作品への解像度はどんどん上がっていくのは感じていました。俳優の時とはまた少しモードが違って、音楽が映像に及ぼす力や、作品に寄り添いながら作品を(音楽が)どう持ち上げていけるかということをすごく考えてくださった。最初に短いバージョンをいだたいた時は、福山さんのギターのかっこよさ、キレのよさが前面に出ていて“かっこいい曲だな!”と思ったのですが、フルバージョンを聴いた時は、福山さんがこの作品にかける愛情や想いの深さにめちゃくちゃ感動したんです。音楽の面でも完全にエンターテイナーですよね」(監督)スクリーンに武史が現れた時の高揚感、続きを見たいと自然に思わせるひとつのトリガーともなっている楽曲。
福山本人も「かつて武史がベガスでショーをしている時の“登場感”をイメージしました。武史が日本を飛び出し異国の地で「It’s Showtime!」と言う時の高揚感を。“予想は裏切るけど期待は裏切らない”というのがエンターテイメントの本懐だと常々思っています。スポーツと違ってエンターテイメントは「この後こうなるんでしょ?」と、結末ありきの物語ではあります。でもその結末に向かっていく過程をどう見せるかということが、エンターテイメントの仕事。結末をある程度知った状態でも、そこにたどり着くまでの過程でいかに皆さんの予想を裏切りながら、そして期待を裏切らないか。その過程こそが「Showtime」であり、その「Showtime」の前にあるイントロとして、武史が登場する前のサウンド、楽曲はどんなものがいいのか?撮影中もずっと考えていたのですが…。すみません、締切ギリギリで(笑)。結局楽曲が出来上がったのは、撮影が終わってからになりました。」(福山)
『幻界』というタイトルには2つの意味も。「武史の仕事は幻を見せること。幻とはそこにあるようでない、ないようであるもの。そんな“幻の世界の住人として生きる”と言う意味でこのタイトルをつけました。ネタがばれるかばれないかギリギリのところを突く。“げんかい”と音で聴いた時は「限界」ともとれるダブルミーニングにしています。」(福山)
アーティスト福山から、作品の最後のピースとなる最高の贈り物が届き、映画『ブラック・ショーマン』は極上のミステリーエンターテインメントとして完成した。
福山本人も「かつて武史がベガスでショーをしている時の“登場感”をイメージしました。武史が日本を飛び出し異国の地で「It’s Showtime!」と言う時の高揚感を。“予想は裏切るけど期待は裏切らない”というのがエンターテイメントの本懐だと常々思っています。スポーツと違ってエンターテイメントは「この後こうなるんでしょ?」と、結末ありきの物語ではあります。でもその結末に向かっていく過程をどう見せるかということが、エンターテイメントの仕事。結末をある程度知った状態でも、そこにたどり着くまでの過程でいかに皆さんの予想を裏切りながら、そして期待を裏切らないか。その過程こそが「Showtime」であり、その「Showtime」の前にあるイントロとして、武史が登場する前のサウンド、楽曲はどんなものがいいのか?撮影中もずっと考えていたのですが…。すみません、締切ギリギリで(笑)。結局楽曲が出来上がったのは、撮影が終わってからになりました。」(福山)
『幻界』というタイトルには2つの意味も。「武史の仕事は幻を見せること。幻とはそこにあるようでない、ないようであるもの。そんな“幻の世界の住人として生きる”と言う意味でこのタイトルをつけました。ネタがばれるかばれないかギリギリのところを突く。“げんかい”と音で聴いた時は「限界」ともとれるダブルミーニングにしています。」(福山)
アーティスト福山から、作品の最後のピースとなる最高の贈り物が届き、映画『ブラック・ショーマン』は極上のミステリーエンターテインメントとして完成した。