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SPECIAL TALK

東野圭吾先生×福山雅治
スペシャル対談【前編】
●今回の作品は福山さんが東野先生に「ダークヒーローを演じてみたい」というお話をしたことから始まったとお聞きしています。その経緯を簡単に教えてもらえますでしょうか?
東野 話の前後はよく覚えていませんが、わりと急に(福山が)おっしゃったような気がします。決して僕の方から「次はどんなものがやりたいですか?」と聞いたわけではなかったと思います(笑)。
福山 (笑)。ただ、人知れず膨らませていた妄想がありまして。湯川先生(『ガリレオ』シリーズの)が、もしダークサイドの人間になったら世界はどうなったのか?という密かな妄想を楽しんでいたんです。あくまでも作品として、です。以前西谷監督が撮った『ガリレオXX 内海薫最後の事件 愚弄ぶ』(演:柴咲コウ)というスペシャルドラマがあって、その中に湯川さんが一瞬出てくるんですよ。その時の湯川さんは研究室で白衣のまま寝ていて、「ちょっと白衣を汚したいけど、あまり汚すと湯川先生ぽくないですかね」という話を監督として。西谷監督の狙いとしてはちょっと“マッドサイエンティスト”に見えるようにしたいという意図だったんです。集中し過ぎると人ってある瞬間、ちょっと異常に見える時がある。ちょうど数式をワ~ッと書くシーンだったので。その時「なるほど」と腑に落ちた感覚が僕の中でずっと残っていたんです。様々な困難を華麗に乗り越えてきたように見える湯川さんにも人知れずそういうダーティーな一面があるのかも?と。あり得ないことではありますが、もし湯川さんがダークサイド側の人間になったとしたらどんな物語になるのかなと思い、その話を先生にお伝えしたのかもしれないです。
東野 福山さんと話す時は大体ガリレオの話で、次はどんな話にしようかということが多いんですが。ただその時はたぶんガリレオではない話をしていて、ちょうど僕自身が悪党みたいなキャラを書きたいなとぼんやり思っていたんです。じゃあ何を書こうかと考えた時、本当に悪い犯罪者を主人公にするのは違うなと。じゃあやっぱり自分の場合はミステリーだな、とはいえ優等生的な人が謎を解く話ではないよなと。そこで結構悩んだんですが、ひとつのキーワードとして“謎を解くためなら手段を選ばない”というものが出てきた。そのためには何でもする、時には悪いこともするというところから“ダークヒーロー”“ダーティーヒーロー”みたいなものが出てきたんです。本質的に悪党であることは確かですが、今回は何としても謎を解かないといけない。その理由付けとして“肉親が殺されたから”ということを思いつきました。おそらくこういう人はあかの他人が殺された事件には関心がない。湯川さんのように謎自体に興味があるということも絶対ないですよね。「お金をくれるなら謎を解きましょう」というようなイメージから膨らませていったんだと思います。
●元マジシャンというワクワクする設定はどこから来たのでしょうか。
東野 これは僕の勘違いだったら申し訳ないんですけど、福山さんが大泉洋さんのマジックがかっこよかったと以前おっしゃっていた気がして。
福山 言っていました。映画『青天の霹靂』ですね。
東野 そうですよね。それがすごく記憶に残っていたんです。だからどこかで福山さんはマジックをしたがっているのかなと思って(笑)。
福山 マジックしたがっていた……のかな?(笑)でもあの作品の大泉さんは本当にかっこいいんですよ。オープニングシーンのカードマジックの長回し。あれは日本映画史に残る名シーンだ!とご本人にも何度もお伝えしています。
東野 たぶんそれが頭の片隅に残っていたんだと思います。だから(元マジシャンという設定を思いついたのは)それがきっかけですね。
福山 ちょっとこの文言は調整させていただいた方がいいですね(笑)。ただ本当にかっこよかった。
東野 (笑)。大泉さんはマジックができるまですごくトレーニングされたという話もされていましたよね。それで“謎を解くためには手段を選ばない”という“手段を選ばない”の部分が、一般人だと何をするだろうと考えて。警察を出し抜くためにはどうするだろう?といろいろ考えた時、やっぱりまずは特殊技能があった方がいいだろうと思った。例えばPCを使ったハッカーとかね。でも極力道具は使いたくなくて、本当にその人の能力だけで出し抜けるものがいいなといろいろ考えて……マジシャンだなと思いました。
●いずれにしろお2人のこれまでの関係性、友情から端を発した企画ではありますが、いよいよ本格的に映画化に向けて動き出した時は何かやり取りをされましたか?
福山 映像化するにあたりマジックをいざ自分がやるとなった時、これは大変だなと痛感しました。マジックを題材にした日本映画って、意外と少ないですから。海外の映画では大規模なCGを使ったマジックの映画もありますが、今回はそういうことじゃないなと。マジックを使って事件を解決していくというよりは、マジックができる人があらゆる角度からあらゆる方法を駆使して謎に挑んでいく。先ほど先生がおっしゃった“目的のために手段を選ばない”ということで言うと、あくまで“手段としてのマジック”を表現するのがこの作品の目指すべきことだと。
●とはいえ福山さんの華麗なマジックは、作品の中で大きなウエイトを占めていますね。すべて吹き替え無しでご自身でやられていたことも驚きです。
福山 やっぱり練習してできるようになったところは、余すところなく見せたいですから(笑)。“本当に本人がやってるんですよ”というのは見せたかったです。
●先生は福山さんがここまでマジックができるようになるとは予想されていましたか?
東野 (あっさりと)予想していました。
福山 ありがとうございます。
東野 僕もこの小説を書くにあたってマジックを使った映画をたくさん見たんですが、どれもピンとこなくて。実は派手なマジックをたくさんやるよりも、ピンポイントでリアルなマジックをやる方がきっと面白いんだろうなと思ったんです。この映画も冒頭はすごく派手なマジックショーがありますけどね(笑)。あれはあれで素晴らしかったですが、意外と派手なイリュージョンよりもテーブルマジックの方が好きな人って多いんじゃないかな。大きな舞台でやるより自分の目の前で見せてくれる方が素直に驚けるというか。それで先ほどのご質問の答えになりますが、福山さんならきっとCGや特撮は使わず、練習に練習を重ねて臨んでくれるだろうと思った。それは僕は予想していました。
●それは福山さんのことをよく知っていらっしゃるからですね。
東野 はい。絶対にご本人がやられるだろうと思っていました(笑)。
福山 ありがとうございます。やっぱりデビュー35周年なんで、意地がありますから(笑)。
東野 脚本を読んだ時に、“この部分は絶対実際にやられるんだろうな”と目に浮かんで嬉しかったですね。
●ただ何も知らないで見たら、これをご本人がCGや特撮なしでやっているとは思わないかもしれません。それほどの完成度だったので。
福山 全部やっています。そこは文字を大きく書いておいてください(笑)。
東野 先ほども少し言いましたが、すごく派手なマジックっていうのは今の人は目が肥えているからあまり驚かないんですよ。今は(映像技術で)なんでもできてしまいますからね。むしろ細かいマジックの方が、これは本当にやっているかも?と驚くと思う。
●マジック監修のKiLaさんも福山さんのマジシャンぶりを絶賛されていました。福山さんはマジシャンの枠を超えてくる人だと。
福山 恐縮です。KiLaさんは映像作品にこうやって携わるのは初めてだと伺っています。ですが、優れた表現者というのはジャンル問わず初めてか経験者かとかは関係ないんですね。まず言語化力が素晴らしい。そして表現者でありながら技巧者でもあり、何よりアイディアマンである。そのどれかに軸足が寄り過ぎているとバランスが悪くなりますが、その三角形が見事。表現力、技術力、創造力。この3つが高度のバランスで保たれているのがKiLa流マジック。そのKiLaさんがそうおっしゃってくれたのは「マジシャンの枠を超えてくる」という言葉は本当に嬉しいですが、その言葉はまんまKiLaさんに当てはまると思います。
●先生は福山さんが劇中見せるマジックで驚いたものはありますか? 確か撮影現場にいらっしゃった時も、福山さんは先生を前にマジックを披露されていましたね。
東野 見せてもらいました。テーブルクロス引きは実際に目の前でやってくれました。
福山 あの日にスタジオに来ていただけて最高でした(笑)。
東野 実際どのマジックも見ていて楽しかったですね。驚いたという点では、木暮刑事役の生瀬勝久さんから携帯を奪うというシンプルなマジックです。
福山 スリの手法ですね。
東野 あれは誰が見たって本当にやっていると思いますよ。動きが本当に滑らかで。それこそ絶対にCGとは思わないし、ああいうマジックの方が驚きがありますね。
福山 「マジックシーンとはアクションシーンである」をスローガンに撮影に挑みました。盗まれる側の生瀬さんの動き当然大事です。あまりにもやられっぱなしなのも緊張感がないですし、全くやらせない!っていうのもマジックシーンとして成立しない。アクションシーンと同じで殺陣のように演者の息を合わせるためにしっかりと2人で練習しました。生瀬さんもさすが名優です、すごくお上手でした。
東野 本当に殺陣みたいなことですよね。
福山 まさにそうです。
東野 あの動きは本当に綺麗でした。
福山 ありがとうございます。どのセリフで、どのタイミングで何をやるか?すべて綿密に調整してあります。それを1シーン1カット通しでやるっていうのは、まさに殺陣でしたね。
東野 セリフを言いながらマジックをやるのは大変でしょうね。
福山 はい。でも達成感はこの上ないものでした。
東野 たぶん観客もあそこのマジックはすごく印象に残ると思います。
●両手でのコインロールもナチュラルにやられていましたが、KiLaさんに言わせるとあれを利き手ではない方の手でやるのは相当すごいことだと。
福山 KiLaさんに最初にお会いした第一回の打ち合わせの時に言われたのは、「コインロールは自転車に乗るのとの同じで、子供の頃にやっていたら大人になってもできます。なので福山さんの年齢で始めてもできません!」と。そうですか…困ったなと。でもその時に既にKiLaさんのマジックは始まっていたんですね。そう言われると悔しいしやるしかないじゃないですか。まんまとKiLaさんに焚きつけられましたね(笑)。
●武史と有村架純さん演じる真世との“叔父と姪のバディ”についてもお聞きしたいです。田中監督がこの叔父と姪のバディというのが東野先生の素晴らしい発明だとおっしゃっていました。
東野 まず第一に男女のバディはいいんですが、この男女が恋愛関係になって最後に結ばれるのか結ばれないのかみたいなのが好きじゃないんです(笑)。物語の構造上、神尾武史という人をいろいろなことを分かっている大人の男にしたかった。だからと言ってそこにキャピキャピした若い女性をもってくるのもまた好きではない。ある程度大人の会話ができる落ち着いた女性にしたかったんです。それと事件の構造的に、この2人が同じくらい事件への思い入れがないとダメだなとも思っていました。2人の関係性に関しては、真世は武史のことは父親から聞いていてある程度知っているけど、最近は会っていなくてあまり知らないなくらいの距離感がよかったんです。全然知らないのもこれまたつまらないんですが。そういうことを考えていくと、自分の経験からも姪くらいがちょうどいいんじゃないかと(笑)。僕にも姪がいますが、彼女とは一度食事に行ったこともあるし、就職祝いのプレゼントを買ってあげたこともある。その時なんとなく店員さんから“カップルと思われるんじゃないか?”と考えてしまう自分もいて(笑)。
福山 なるほど(笑)。
東野 20歳くらい離れているんですけどね。
●福山さんはこのバディについてはどんな印象をお持ちですか?
福山 バディを組むという言葉で括っていいのかは分かりませんが、何かひとつの目的に対して共同体になっていくということで言うと……、ひとつ思い出した映画がありまして。大好きな映画でもあるんですが『セント・オブ・ウーマン』というアル・パチーノ主演の作品です。盲目の退役軍人の話ですが、別の作品で盲目の役を演じるにあたり僕はこれをずっと見ていたんです。
東野 そうですよね(笑)。
福山 素晴らしい作品ですよね。あの物語も最初は違う目的ですが、年の離れた男性2人がだんだん運命共同体になっていく。最初は全く気が合わなかったのに、お互いを徐々に支え合うような関係性になって、無くてはならない関係になっていくという作品。だったなということを、今はたと思い出しました。真世は女性ですが、これまでおそらくすごく真面目にまっとうに生きてきた人。クラスメイトに“神尾先生の盗聴器”と言われながらも、グレることなくまっすぐに生きてきた人で武史とは全然違うタイプ。だから武史の強引な物事の進め方に対して、本来であれば非常に抵抗があるだろうし、まず一緒には行動しないはずなんです。ですが今回2人には共通の目的がある。武史にとっては兄、真世にとっては父というかけがえの無い存在の英一を、(真世の)結婚直前で失ってしまったという喪失感、絶望感。真世からすれば父への想いもありながら、自分が素直に父と向き合えなかったという過去への贖罪もあったと思います。本来は「事件解決は警察がやるべき仕事だから」とはっきり言える人なんでしょうが、父への後ろめたさみたいなものがあったから武史と共同体になっていくことを選んだのでは。2人が共同体=バディになっていくのが物語の骨子の部分であり、有村さんが真世という役をとても深い理解と解釈をもって現場で演じてくださったので、僕は非常に頼りにしていました。
●先生は有村さんの演じた真世はどう映りましたか?
東野 原作には書かれていない真世の悩みや葛藤を表現されていて、なるほどこういう見方もあるなと思いました。今福山さんがお話されていたことを聞いて思ったのは、殺された英一はよく考えたら教師としてしか娘(真世)と接することができなかったし、弟(武史)は勝手にどこか海外に行っちゃうしで、たった一人で家を守っていたわけですよね。だから真世は最後に父親の寂しさを理解したというような演技を、有村さんはされていたんだろうなと。こういうことってあるんだなと、これは原作者としても教えられた気がします。
●武史と真世のテンポのいい身内ならではのやり取りも素敵でした。あのテンポ感はどのように作られていったのでしょうか。
福山 お芝居の綿密な構築ということでもあるでしょうし、原作における叔父と姪という関係性もあると思いますが、それに加えてもうひとつ僕が設定したかったのは“神尾武史をどこでいかに崩すか”ということでした。すごく些細なことで、かつ理想で言えば“武史以外の人間は気にしないこと”がいいんですが、例えば足の小指を角にぶつけて人知れず悶絶したり、真世から“叔父さん”と呼ばれることを妙に気にしていたりとか、その“崩され感”。真世のように真面目な人から崩されるのが一番キツい(笑)。普段からふざけている人に何か言われても全然揺るがないけど、真面目な真世のまともな一言はつい喰らってしまう。ただ、そこがあまりにたくさん出てしまうと真世が優位に立ち過ぎて物語の構造が変わってしまう。ほどよく崩される感じがいいよねと監督やプロデューサー陣と話しながら作っていきました。
●原作のタイトルにもある“名もなき町”についてお聞きします。原作でも映画でも具体的な地名などは出されていませんが、お2人はどのような町をイメージされていますか。先生にはこのタイトルをつけた理由などもあわせてお聞きしたいです。
東野 意味としては2つあります。ひとつはミステリー小説を書くうえでの物理的な事情ですね。ストーリーから考えて都会のお話ではないことは明確ですが、中学時代の担任の先生に10年後、20年後まで強い想いを抱くのってどのくらいの規模の学校だろう?と。あとはこの小説はコロナ禍の時期に書いたこともあって、コロナの影響を受けて苦労する町の規模感などの物理的な事情です。僕の中でいろいろ調べて町の規模感、大体の人数などを考えていって、こんな町かなというのを決めたのがまずひとつ。もうひとつは「これはあなたの住む町かもしれません」という想いです。もちろん都会に暮らす人たちにとってはちょっとピンとこないかもしれませんが、「昔々あるところで」という昔話じゃないですが、根本的にはどこの町でも起こり得ることですよということですね。そんな話を出版社の方々としながら考えていったタイトルです。最初は『名もなき町の殺人』だけだったんですが、さすがに地味だよねと。そこで候補としても挙がっていた「ブラック・ショーマンはどうでしょう?」と僕が言いました。黒い魔術師=ブラック・ショーマンですね。もうひとつの候補は「トラップ・ハンド(罠の手)」。こっちもいいなと思ったのですが、ちょっと難しいかなといろいろ話し合っていくうちに、この長いタイトルに落ち着きました(笑)。(*「トラップ・ハンド」は武史の営むバーの店名として、劇中にも登場している)映画は簡潔に『ブラック・ショーマン』になっています。
●どこにでもありそうな小さな町という普遍性とリアリティは、映画でも確かに受け継がれていますね。
東野 ただ名もなき町にしては、随分綺麗な町でしたね(笑)。
福山 (笑)。(ロケ地のひとつである)郡上八幡は僕も初めて行きましたが、確かに綺麗なところでした。僕は個人的に「名もなき」というタイトルがつくと、必ずU2の「Where The Streets Have No Name」を思い出します。邦訳すると「名もなき道」という曲なんですけど、いろいろな想像力がわいてくるんですよ。ほとんどの人の人生は名もなき道。最後に振り返った時は高村光太郎さんの『道程』じゃないですが、「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」。だから“名もなき”と聞くと非常いい意味でワクワクするんです。自分の中の道ということもあるし、単に行ったことのないまだ見ぬ町という旅情も感じます。映画でも『パリ、テキサス』のように現実にあるのかないのか分からないような町が、たまに出てくる感じ。“名もなき町”は僕の中でそんなイメージです。